コラム
2024.07.16
【海に向かうコラム】黒潮にのまれた30時間ーヨット乗船レポート
海はひとつだけど、人の数だけ海の姿やイメージは多様に広がっていく。「海に向かうコラム」では、人それぞれの海にのびる矢印をみつめていきます。
今回は、海に関心を持ちながら歌い手、さらには通訳としても活動する後藤杏奈さんが2週間のヨット航海をレポート。陸から見るヨットはどこかのんびりしているように見えますが、ヨットに乗っている人たちはどのような時間を過ごしているのでしょうか?海の風を感じるさわやかな生活や、ハラハラする出来事まで、海の上ではさまざまな物語がありました。
後藤杏奈(ごとう あんな)
大学時代に内閣府主催の「世界青年の船」事業に参加し、その後スタッフとして勤務。大学卒業後はNGOピースボート主催の地球一周の船旅に、通訳ボランティアやスタッフとして乗船。洋上での生活を通じて、海洋や環境への関心が高まり、環境活動家が主催する航海プロジェクトにヨットクルーの見習いとして参加した。また、船旅の間に幼い頃から身近にあった音楽と向き合う。2023年夏に「ハピネスレコード」よりCDデビュー。環境や海への関心を持ちながら、歌い手として関東を中心に活動している。
後藤杏奈さんのインスタグラムはこちら
船への憧れからヨットの体験乗船会に参加
私がヨットと出会ったのは、コロナ禍の2022年。もともと海が好きで、船への憧れもありました。
ある時、インターネットで「ヨットで行く太平洋航海プロジェクト」というタイトルの記事を発見。見つけた瞬間からわくわくして、まずは初心者でも参加できる体験乗船会に行きました。
はじめてのヨット乗船
乗船会は、NPO気候危機対策ネットワークが運営しています。ヨットの艇長(ていちょう)は武本匡弘さん。40年以上のプロダイバー歴を持ち、各地の海で気候変動によるサンゴ礁の変化などを目の当たりにしてきたと言います。
「僕は科学者や研究者ではない。目撃者として、気候変動による海への影響をみんなに伝えたい。」そんな思いを持って環境活動家となった武本さんは、乗船会でもサンゴや海の状況を話してくれました。
ヨットの名前はVelvet Moon(ベルベットムーン)号。初心者でも、多くの経験をさせてもらえました。帆を出したり引いたりするのにロープを握り、みんなで力を合わせる作業がとても楽しかったです。
いよいよ長期航海へ
そして、2023年5月26日から約2週間の航海に参加させてもらえることになりました。航海の目的は、気候変動や海洋プラスチックごみ汚染の探査をすること。海を実際に体感し、海から気候変動を考えるという目的に賛同する仲間が集まりました。
目的地は、米国のグアム島!クルー7名のうち半数以上が初心者というチームで、神奈川県の横須賀を出港しました。安全のために基本的に昼間はヨットで航海し、夜になると港に停泊しながらヨットの中で眠るというプランでした。今回は海の上での生活にまつわることを中心にレポートしていきます。
時の流れが早く感じるヨットでの生活
ヨットでは何をしていたの?とよく聞かれます。海上に障害物がないか見張りをしたり、舵を持って操船したり、ロープワークをしたり、交代で行動しました。
毎日の食事は交代で作りますが、これが思ったより大変な作業。船内の台所は狭く、立っているだけですぐに船酔いしてしまいます。料理上手なクルーに助けられ、洋上でみんなで食べるご飯が大好きでした。
もちろん、当番が何もない空き時間も多くありました。波の揺れを感じて、景色を見ながら仲間とおしゃべりしたり。「もう4時間経った!?」と驚くことがよくあり、船上での時の流れは不思議に感じました。
想像をはるかに超える海の力に直面
常に安全を第一に考える武本さんのおかげで、ヨットの上は基本的に穏やか。しかし、出航して数日が経った頃、予期せぬことが起こりました。
5月31日の昼頃、私たちは停泊していた千葉県の福田港を出て、針路は南へ向かうはずでした。ところが、季節外れの台風が発生してしまい、針路を西に変えて和歌山県の勝浦港へ避難することに。
「何かがおかしい。」
出発してしばらくすると、武本さんがヨットのスピードがどんどん下がっていることに気づきました。さらに、数値を見ると水温は上がっています。
武本さんは黒潮の影響だと気づきはじめました。黒潮とは、北太平洋の西側、日本列島の南岸にそって流れる強い海流のことです。
黒潮にのまれて
台風による大きなうねりの影響もあり、私たちはいつの間にか陸から沖に流されていたのです。黒潮の大蛇行に正面からぶつかってしまいました。
私は、最初はそれほど深刻なものだとは知りませんでした。しかし、何をしてもスピードは半減したまま。潮の流れから抜け出すのは簡単ではありませんでした。
はじめての夜間航行
数時間が過ぎても、進んだのはたった数マイル……遠くに見える岬の景色も、まったく変わらない……。
夜になり、私たちは真っ暗な海でぽつり、揺られていました。私にとってははじめて航海をしながら過ごす夜となりました。
「この先ずっと、暗闇の黒潮の中をさまようことになるのかな。どうか早く、陸に……。」うねりに揺られながら何度も不安におそわれました。
18〜23時の間は、交代で見張りと操縦をすることに。自分の体と船体をつなぐ命づなを装着した時は、緊張が増しました。
その夜目にしたのは、夜空に照る月の光と、うっすら輝く星々。そしてヨットが波を切る間にまたたく夜光虫たちでした。「なんだか物語の中にいるみたいだね」と話しながら、クルーの仲間と励まし合い、長い海上の夜を過ごしました。
うねりを越えて30時間後に陸へ到着
5月31日の13時半に福田港を出発してから、避難先の和歌山県勝浦港に着いたのは翌日の18時半。なんと黒潮の大蛇行の中で30時間近く過ごしていたのです。
その後も台風の発生により、目的地だったグアムへの航路は諦めることに。せめて小笠原諸島の父島まで行きたいと機会をうかがっていましたが、さらなる台風の発生で断念しました。
最終的に到着したのは、伊豆七島の一つである八丈島でした。予定していた距離よりは短くなってしまいましたが、合計約551マイル(=約1,020km)の距離を航行し、2週間の航海は終わりを迎えました。
航海を終えて思うこと
ベテランの艇長がどんなに計画しても、航路変更はつきもので、海の上では予期せぬことやわからないことだらけ。これが海であり、私たちが住む地球の姿なのかと実感しました。思い返せばとても不思議な体験で「あの時間は何だったんだろう」と、また海に戻りたくなってしまいます。
最後に、一生に何度あるかわからないこの貴重な経験をさせてくれた艇長、武本さんへ感謝を伝えたいです。共に船酔いし、黒潮の夜を超え、小さな生き物たちとの出会いに喜びあったクルーのみんなにも、心から感謝しています。今回果たせなかった海外航路の夢は、私の中でまだ眠っています。
NPO気候危機対策ネットワーク https://kikoukiki.org/
太平洋航海プロジェクトについて https://kikoukiki.org/?cat=9