インタビュー
2024.06.04
オポポフレンズvol.7【後編】映画『さよなら ほやマン』庄司輝秋監督に聞いてみよう!
宮城県石巻市出身の映画監督・庄司輝秋さんに、港町で遊んでいた子ども時代から大人になるまで、そして手がけてきた映画作品についてお話を聞きながら、海について考えてきた前編。
後編では、2023年11月に公開された映画『さよなら ほやマン』について、制作秘話を聞いたよ。庄司監督の海とのつながりには、たくさんの人々の人生にまつわるとても深い想いがあったんだ。
今回のオポポフレンズは少しむずかしい言葉があるかもしれないけど、海について深く考えることができる種がいくつもある。ぜひ最後まで読んでみてね。
庄司輝秋 監督(しょうじてるあき かんとく)
映画監督、CMディレクター。1980年宮城県石巻市生まれ。東京造形大学彫刻科を卒業後、広告や映像制作に関わる。2013年、石巻を舞台とした短編映画『んで、全部、海さ流した。』(ndjc2012作品)を全国の劇場で公開。2023年『さよなら ほやマン』で長編映画デビュー。
ホヤとオレ
(前編の記事はこちら)
オポポ そしていよいよ『さよなら ほやマン』のきっかけになるホヤの生態に気が付く瞬間が訪れるわけですよね。それは先の短編に続く、長編作りのためのアイデアを探してるときだったのですか?
庄司監督 いろんな題材を試していたんですけど、うまく脚本が書けなくて困っていました。短編からはすでに数年経っていて、自分の中にもう作りたいものがないならしょうがないなと、もう「躍起(やっき)になって」っていう感じではなくなっていたんです。
オポポ あきらめかけていたと……。
庄司監督 それでたまたま夏に実家に帰ったら、食卓にホヤが出たんです。それまで親が酒のつまみに食べてるなっていうくらいの身近な感じだったんですけど、あらためて見るとすごく奇妙に思えてきて。それで調べてみたら「卵で産まれて、やがて背骨と脳みそがとけてなくなって、あとはそこで生き続ける」と書いてある。一体なんだろうね……と考えていたら「あ、これはおもしろいかも」って。
『さよなら ほやマン』
2023年11月に公開された、庄司輝秋監督による長編映画。宮城県石巻市の沖にある網地島で撮影が行われ、島で暮らす主人公の兄弟や住民たちや、都会からやってきたマンガ家の女性など、さまざまな事情を抱えた人たちの心が通い合うようすが描かれている。
公式サイト:https://www.cine.co.jp/hoyaman/
©️2023 SIGLO/OFFICE SHIGROUS / Rooftop / LONGRIDE
庄司監督 そのころは自分も映画を作りたかったけどぜんぜん作れないし、CMの仕事も思ったところまでいけない時期だったんです。30代半ばになって、どこか自分の限界みたいなものを感じるようになっていて。
まあ、でも無職のような頃よりはずっとまともに暮らしてるし、「それなり」でいいんじゃないかって思い込もうとしてた自分もいて、それが、脳みそがなくなっていくホヤと重なる気がして「オレ、ホヤかも」って(笑)。そしたら映画にできるかな、っていう気がしてきたんです。
オポポ ホヤの生態が、目的もなくなんとなく生きる人間ににていると気づいて、そこから脚本のイメージが見えてきたのですね。
庄司監督 そうです。石巻出身じゃなかったら絶対できなかったことですよね。あたりまえのようにホヤが食卓に出てくるっていうのは(笑)。
過疎化する夢の島
オポポ 物語は石巻の網地島(映画の中では他部島=たぶじま)を舞台にしていますが、湊町やその周辺の漁港ではなく、離島にしたかった理由があれば教えてください。
庄司監督 僕の中で網地島は、すごい夢の国というか、海もきれいで東北のハワイみたいな感じで、とにかく明るい場所なんです。でもいわゆる一般的な東北の港町のイメージっていうのは、うす暗くて寒くてジメッとしていて「俺たち、負けねぇぞ」みたいな、辛く苦しいことに耐え忍ぶような描かれ方をすることが多くて、ずっと違和感がありました。
だって実際は、港町の人間ってめちゃくちゃ豪快(ごうかい)でガハガハ笑って、下ネタをバンバン言う、みたいな感じなんですよ。昔ずいぶん羽振り(はぶり)のよかったときなんかは、海をまわってどっさり何百万円もかせいで、フンドシに札束を突っ込んで、裸で町を練り歩いて、そのまま飲み屋街に行って、一晩で使い切っちゃう、そんな感じなんです(笑)。
オポポ ぜんぜんジメッとしていないですね(笑)。
庄司監督 やっぱり漁師はいくら稼いでもいつ死ぬかわからないから、宵越しの金は持たない(※)、みたいな、そういう明るくて、強い感じの港っていう印象が僕にはあって。
※その日に得た収入はその日のうちに使い果たす
特にこの『さよなら ほやマン』は震災も絡む話だから、明るく強く生きる人間の姿を描きたいって思ったときに、網地島だったらきっと寓話性(※)を持って描けるんじゃないかなと思ったんですよね。
※教訓的な内容を、他のことと結びつけて表現したたとえ話
生態系としても、植林はほとんど無くて原生林のままですし。ちょっと変わった形のタブノキやシダ類もたくさん生えてて、パッと見た感じは南国の島みたいなんです。
オポポ まさにパラダイスですね。
庄司監督 ええ。だけど一方では過疎化も進んでいて、人がどんどん少なくなってる現状もある。そういう二面性は、島だからこそだと思いました。特に過疎化についてはどこの港も本当に後継者不足が深刻で、漁師の方も続けたい気持ちはあるのだけど、このままではいつまで続けられるかって思いながら、暮らしているんだって聞きます。
オポポ 物語では主人公の両親が震災のとき、船を守るために「沖出し」(説明は#伝え繋いできた海 4へ)をして、戻らなかったという設定でしたが、そのような災害に対する構えや備え、自分たちの命や暮らしを守る術のようなものはどうやって学ぶものなのでしょうか?
庄司監督 石巻あたりだと1960年の「チリ地震津波」(説明は#海がもたらす恐れ 1-1へ)の記憶が強くて、チリで起きた地震で津波が来て、バーっと海が引いて、ガーっと北上川に船が上流してダメージを受けたっていう話はたくさん聞かされましたし、写真もよく見せられました。
ちょうど親の世代が体験していたのもあると思うんですけど、津波が来たらあそこに逃げれば助かるとか、川の水が引いて、ピチピチピチピチって魚が無数にいるけど、絶対にそれには手をつけずに逃げろとか、そういう話もよく聞いてました。
運命を選び直した者たち
オポポ 先ほどの島のお話のところでおっしゃっていた「震災を明るく描きたい」ということについて、もう少しお聞きしてもよろしいですか?
庄司監督 震災から12年も経つと、表面上では日常生活も戻ってきて、みんな基本的には明るく生きてますよね。でもついさっきまで楽しくおしゃべりをして帰っていったおばさんが、実は震災で子どもも夫も亡くしていたりする。
表面的には乗り越えているけれど、どこかにまだ当然、つらい気持ちとしては残っている。みんなそういうものがある中で生きざるを得ない。海に関わる人は被災したからって、海以外の選択肢があるわけで
はなく、それでも海で生きている。明るく生きている日常があるけれど、記憶として忘れている訳ではないと思っています。
オポポ 物語の中では、誰の心にも消化しきれないものがあって、それをどう扱っていいかわからず、さらけ出したり、もがいたりしていました。でも、みんなそうしながらでも次に向かっていくんだっていう前向きなメッセージを感じたのですが、海に浮かぶ小さな島で暮らす彼らの姿に、そう思わせてくれるようなものを込めていたのでしょうか?
庄司監督 主人公が最後、意識が朦朧(もうろう)とする中で死んだはずの母親と父親に会うというシーンがあって、公開された映画のバージョンだと両親は何も言わずに去っていくんですけど、脚本に書いたものでは母親が「私たち、海で生きてきたんだもの。海に帰ることもあるべっちゃ。」と言って消えていくんです。
なんていうか海は、僕らの生活を奪ったのかもしれないけれど、同時にすごく豊かにしてくれるものでもあるわけで、それを受け入れながら、そこに生活を立てていくことを「自分で選択する」ということが大切だと思うのです。たまたまそこに生まれてしまうと、しょうがなくそこに生きてしまう。それこそホヤみたいに。でもそうじゃなくて、そこに生きるってことは、自分で掴み、選び直すことなんだって前向きに捉えるのが大事なのかなって、震災を通じて思うようになったんです。
庄司監督 あの震災のときに「じゃあこれから、あなたはどう生きますか?」と、みんなが生き方を問われた。私はここで生きていく、私は町を離れるって、自分の意志で選ぶ人もいれば、しょうがなく、もう住む場所もないし、ここを出て娘たちのところに行くわっていう人もいる。そこに何が起きたのかが問題というよりは、それからの生き方をどう選ぶのかが大事だと思います。
その意味でこの『さよなら ほやマン』に出てくる人たちは、それまではずっと、津波で両親を失ったこと、障害があること、親に愛されなかった人生もそうだし、みんな自分で選びようがなく、与えられた中で生きざるを得ないけれど、それに対して一度は諦めた人たちが「でも自分たちはこう生きるんだ」って運命を選び直す姿を描きたいと思ったんです。
庄司監督 映画を観てくださった方がもし「明るさ」を感じたのなら、たぶんそういうところだと思います。結局、島で生きるってことは変わらないんだけど、「自分はそこに生きていくんだ」、「自分で選んだんだ」と思えば、ぜんぜん、それからの彼らの人生は違うものになるんじゃないかなって思うんですよね。
でもそれは僕が一人で勝手に学んだわけではなく、震災の後でたくさん、石巻に人が来てくれて、いろんな生き方の変化を見る中で「やっぱり俺たちは石巻で生きるんだ」って一生懸命に活動している人に会うと、彼らは自分で生きる場所を選んだんだなって思うんです。すごく強いなって思います。
甘えられるふるさと
オポポ 今後について、庄司監督は今どんなことを考えていますか?
庄司監督 やっぱり石巻のことはまた映画にしたいなと思っています。たぶん、自分のより所が石巻にあって。ほかの土地の話は言葉も含めてぜんぜん書けなくて。広島の話を書こうと思っても、広島では朝に納豆を食べるかな? とか、西だしな、あんまり食べないかなとか、いちいち止まっちゃって。でも地元だと思うと、もう離れて20年も経つんですけど勝手は知っているし、書いていいと思い込んでる。甘えていますね(笑)。
オポポ 甘えられるところがあるっていいですよね。では石巻での次回作を楽しみにしています! 今日はありがとうございました。
庄司監督 こちらこそ、楽しかったです。
ライター 及川壮也(@soyaoikawa)
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